葛布について

葛布とは 葛の茎の靫皮繊維を糸にして織り上げた布です。
経緯ともに撚りを掛けた葛の糸で織り上げた葛布もありますが、
静岡県の遠州地方の葛布は 経糸に綿糸を用い、緯糸に葛の糸を用いました。ただ、その緯糸に 撚りを掛けないで、平糸で織り上げるところに特徴があります。
 
江戸時代には日本の中で唯一の産地となった事から遠州地方で織られる葛の繊維を使った織物を「葛布」と称しています。

葛布という名称

 最近「静岡遠州地方で織っている葛布経緯とも葛で織っていないので葛布ということはできない」「100%葛ではないから 葛布とはいえない」とのお話を何度か聞いたことがあるので それについて述べたいと思う
 掛川を中心とした静岡県遠州地方の葛布は 江戸時代には経糸 木綿、大麻などを使用し、緯糸を縒りを掛けない葛の平糸で織ることに特徴がある。(大麻を経糸にはあまり使っていなかったようです。2019/11/30)そのため以上のような発言があったかと思う。素材的には確かに 木綿、その他の繊維との交織布であることはまちがいない。
 しかし 布の名称としては すでにこの地方で産するものは「葛布」とよばれていてすでに公に周知されている。江戸時代の百科事典、「和漢三才図会」においても掛川産の葛布は「葛布は遠州懸川より出ず」とかかれている。
 江戸時代の農学者大蔵永常の『製葛録」には 『葛布を製するは遠州掛川辺計にて、余国に製する事聞かず。・・・葛布というは、みな経は木綿糸にして、緯に葛の糸をおりいれたるなり」とある。
 また他の産地では経緯葛を用いながら 「葛布」とは言っていないところが多い。
鹿児島県甑島では「葛たなし」と呼ばれている。唐津市では「葛捩り」と呼ばれていた。唐津では別に経糸木綿で緯糸葛で織ったものが存在する。 外村吉之介著の「葛布帖」にも 『経糸木綿で織ったものが「葛布」といい経緯葛苧に縒りをかけたものは「しきの」といって区別する』と書いてある。
 場所によっては葛を用いながら「藤布」と呼ぶ場合もある。江戸時代の中期、鈴木牧之が書いた「北越雪譜」には「北蒲原郡で織られている藤布の素材は葛である」 と書いてある。(訂正します。「北越雑記」でした。2019/11/30)
 どの地方でも経緯とも葛で織られたものをあえて「葛布」と呼ばないことは興味深い。
100%葛を使っている布をあえて「葛布」と呼ばないように思われる。
遠州掛川で産する交織布の葛布のみを歴史的に「葛布」と呼び慣わしているようだ。
 このように「葛布」という名称は 遠州掛川周辺で産し、歴史的に葛の光沢や特徴を最も表す布に使われたことがあきらかである。必ずしも100%葛素材でなければならないことはないようだ。
 通常、布の名称はその布の特徴をもっとも端的に表す言葉が用いられている。
例えば「弓浜絣」素材的には 木綿布であるからこれを「弓浜木綿」と呼ぶべきとはいえない。 西陣織を 素材的には絹だから「絹布」と呼ぶべきだとはいえない。布の名称はその布の存在を端的に表すものであって、場合によっては素材を標榜し、技法を示し、産地を表し、染め方を呼ぶ。
 したがって「静岡遠州地方で織っている葛布は経緯とも葛で織っていないので葛布ということはできない」という言い方は間違いである。素材、組成の正確を期するなら
「葛布  経糸木綿 緯糸葛平糸の交織」といえばよいのであって いたずらに「葛布」ではないと言い張ってはならない。
 布の素材、組織、技法などの呼び方と布の名称を混同してはならないと思う。
2012年11月1日   大井川葛布  村井龍彦

葛布のよみかた

葛布は「くずふ」とよんでいますが、産地では最近まで「かっぷ」とよんでいました。「くずぬの」という言い方もあります。
当社も創業当時「静岡葛布」(しずおかカップ)という会社で葛布を
カップとよんでいましたが、より多くの人にわかってもらうため、
「くずふ」の読みに統一しています。
 
 

葛布のよみかた2

外村吉之介著「葛布帖」のなかで葛の繊維で織った物で
「藤布」ふじふ、ふじぬの と呼ばれる布があったといいます。
昔は藤で織った布と葛で織った布を区別しなかったようです。
ただ、「葛布」とよばれた「藤布」はなかったと言いますので、
葛布が藤布の中に含まれていたとかんがえられます。
 有名球場がある大阪、藤井寺には 葛井寺(ふじいでら)というお寺があります。葛井寺は百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、8世紀中頃に創建されたと推定されています。ここは「葛」を「ふじ」とよんでいる事は興味深いです。

葛布のよみかた3

倭漢三才図絵に載っている葛布は「くずぬの」とあります。江戸時代の葛布屋の看板にも「くずぬの」とありました。古くは「くずぬの」と呼んでいたようです。それを明治時代中期に輸出壁紙としたころから「かっぷ」と呼び始めたと掛川、川出幸吉商店の川出茂市さんが云っていたことを、婿の川出英通さんから 聴きました。 おそらく 葛=屑を連想させるので避けたのではないかと思われます。
 当社の創業期には やはりカップと呼んでいたのですが、どうも皆さんに判りづらいのではないかと思い 当社では現在「くずふ」と呼び方を統一。英語表記も Kudzu-fu  としました。
 2019年 掛川では再度「カップ」との呼び方に統一すると云っています。
皆さんはどちらがわかりやすいでしょうか?

江戸時代の看板

くずぬのの表記


2019/11/30 村井龍彦 記