製葛録 3

又、大和吉野郡にての製法は、山より掘りきたる葛の根を水にて洗い、 握りこぶしくらいに切りて碓にて踏み砕き、桶に入れ絞り又、一辺袋に て漉しよく交ぜて二時もおけば、上水澄みて葛は下へ着くを、桶の横に かくの如く(本文には下に栓がある桶の絵がここにある)栓をつけ置 き、呑み口をぬけば水は出て下につきたる葛ばかりのこるなり。
それを一日置けばますます葛は堅く桶の底に着き、上に又水の浮きたる をしたみつくし、葛を包丁にて起こし下面に黒葛の分を削り取り、白き ばかりを又桶に入れ水を入れてかき混ぜ半日又は一日おきては栓を抜 き、上水を捨て又水を入れかきまぜて元の如く都合三度すれば、葛の色 白く上品になるなり。
然して三度目には一日半も置き、水をよくすためきり、葛を包丁にて起 こし手にて程よくわりて麹蓋において干しかわかすなり。
初めこそげ除けたる黒葛は又水を入れ溶かして暫く置けば桶の底に砂た まるなり。
これを又別の桶に入れ砂をよく除き去りて一日置けば、底に葛は溜まり 水は上に浮くをよくしたみつくし堅くなりたるを包丁にて起こし、白葛 同様に干して貯え置く事もあり。
多く日々食するものなり。   
葛の性に国所土地または寒暖によりて強きあり、弱きあり。
大阪九州辺にて晒葛とするには強弱を調合して晒し、諸国に商う。
又京大阪にては麩を取りたる跡のジンというものを扇の地紙に引く糊と す。
色白きを晒葛に似たれば水干して塩気を取り、晒葛と号して商う。
尤も見分けがたし。
 
白粉に交ぜるものは吉野葛にかぎれりときけり。
これは性弱きがゆえなり。
弱きはのびよし。
 
薬に用うる葛根は、寒中に堀たるうち実入りよく○べのよろしきを長さ
一尺六寸厚さ八分又は一寸位竪割りにして日に干し、和薬屋へ商う。
又は葛根湯等に用うるように細かに刻みて出すこともあり。
 
◆女将より
今も葛粉と言うて偽物を商うておる人がおりますが、同じような事が昔 もあったようで、麩を取った跡の粉を葛粉と称して騙しておったのです なあ。
吉野葛が性が弱くて、白粉にしたというのも初めて知った事です。
 

飢饉の時用いかたのおおむね 

飢饉の時には豆腐の糟一升に葛一合六○程をよくかき混ぜ、たぎれる湯 にて懇ろに練りて一握りづつよく握りて団子とし、みそ汁又は醤油又は 塩にて大根葉の類を刻み込みたる中に入れ、煮て食すれば美味なり。
尤もその時は黒葛と分くる事なく干す事もなく、桶の底に澱り溜まりた るままを起し用うべし。
又、葛粉を求めて用うるときは、灰葛とて未だ晒さざるを調うべし。
僕も天明三年○○同じく六年丙午の飢饉に灰葛を得て、右のごとくして 食したる事あり。
そのとき 世間にては、草の根を掘り或は松の木の皮等を粉となし製し て米の粉に交ぜ、その他色々のものをこしらえて食したる事を見るに、 葛にまさりて味わいよきものはあらじと覚ゆ。
この外葛にまぜて食する仕方あれどもここに略す。
又常に料理方菓子等に用うる事、あげて数えがたし。
 

晒葛の仕法 

 
右に記すところの灰葛を、酒屋に用うるくらいの半切り桶に三年入れ、 清水を汲みいれ棒をもてかきまぜよくとかして水嚢にて漉し、塵を去 り、そのままに覆いをして半日も置けば葛は下に沈み着き、水は上に浮 くなり。
この水を傾け捨て、又元の如く水を入れかきまぜ二日程も置きて上水を すため、底なる葛の堅くなりたるを前条にも云う如くこてをもて起し、 下面につきたる黒き砂まじりのものを削り取り、白きばかりを又水にか きまぜ木綿の袋にて漉して一日程置き、上水をすたみ又水をしかえ、か くの如くする事数へんにして十四五日も過れば葛存分に白くなる。
それを度としてよくよく水をすたみすて、こてをもて始めの如くつき起 こして手にて程よく割り、麹蓋に入れ乾かせば晒葛となるなり。
尤もこれは田舎にての晒しかたなり。
大阪紀州辺の晒屋にて晒すは、又格別道具も揃い日数早くあがる術ある べし。

 
晒場は家の外に屋根ばかりの小屋を建て晒すべし。
さて、初め起こしたる葛の下面の方一分ばかりも土気交じれば、これを こそげて取り置きたる分は又水を入れ掻き混ぜて暫く見合わせ、上の白 水を別の半切りに静かにすため取り底に残りたる砂は捨つべし。
白水の分も水をしかえて後より仕込む分に入れ込みて用うべし。
 
およそ晒しあげたる葛粉一升にて四五合の割には減ずるなり。
 
晒すには寒中を最上とす。
しかれども九月より翌三月迄はよろし。
水暖かになりては悪し。

 
◆女将より
作者の大蔵永常どのも飢饉にあい、葛を食した事がのべられています。私は昭和三十年代の生まれですが、生まれてこのかたひもじいと言う思 いをした事がありません。いつでも食べたい時に食べたいものがありま した。そして今後もこの幸せな状態は続くでしょう。今は、世間一般の 人のようにいかにすれば食べ過ぎないでいられるか、ダイエットできる かという難しい課題に悶々としております。
翻って考えてみますに、日本人がこれほど豊かな食べ物に恵まれたとい うのは、やっとここ数十年前からではなかったか、と思います。きっと 我々の親の青年時代ころまでは、それほど食べ物に恵まれていた訳では なかったのでしょう。
この先飢饉で葛粉のお世話になる事がないよう、これからは地球規模で 人間全体のあり方を考えるべき時代になったのだという思いを深くしま した。
 
 
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